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愛知県豊橋市二川町字西向山41-10
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岩屋観音
 天平二年(730)行基がこの地におもむいたとき、風景の美しさに魅せられて千手観音像を刻み、岩穴に安置したのが起源とされています。江戸時代には街道を行き交う旅人から多くの信仰を集めました。特に備前岡山藩主池田綱政は信仰が厚く、黄金灯籠・絵馬(共に市指定文化財)・手水鉢等を寄進しています。
岩屋山(観音像)のぬれ仏伝説1765年、豊川にかかっている吉田大橋が古くなり、かけかえることになりました。幕府の命令を受けた江戸下谷の大工の茂平が弟子の善右衛門をつれて、吉田の宿にきました。そして、橋をつくり始めましたが、なかなか難しくて工事が進まず困り果てていました。そこで、岩屋の観音様におすがりするほかないと考えて、二人は観音堂に入り、橋が完成するようにお祈りをしました。7日目の夜になって、観音様のおつげがあり、見事、橋をかかげることができました。 江戸に帰った二人は、これも観音様のおかげと、早速、高さ3メートルほどの銅でできたぬれ仏を岩屋山の上におまつりしました。
火打坂
 東海道が飯村方面へ向う坂の名称です。当時火打ち石に使える硬いチャート石が多いことからこの名が付いたといいます。この東側にはチャンチャカ山の古墳がありましたが戦後に開発され今では面影はありません。
山中戦争遺跡(塹壕)
 東山から松明峠にかけて、第二次大戦末期に駐屯した怒部隊の司令室跡や防空壕、補給路などが今も山の中にあります。これらは、多くの戦争による犠牲者がいたことを、また、平和の大切さを私たちに伝えています。
トーチカ跡  (私有地なので入らないでください。)
 第2次世界大戦の終結間際の戦時中に、アメリカ軍が遠州灘沖から攻撃あるいは上陸阻止という本土防衛のため、怒部隊が二川に駐屯し,トーチカが構築されました。
伊寶石神社(いぼいしじんじゃ)
社殿裏の岩にたまる霊水が疣(いぼ)をとるのに効果が有ると、古来から、遠近の信仰が深い神社です。また、境内を二川自然歩道が通っています。
二川稲荷神社(伏見稲荷)
 御衣黄(ぎょいこう)桜は、開花期は4月中旬、サトザクラ系に属し、珍しい黄緑色の八重の花を咲かせます。江戸時代初期に京都の仁和寺で栽培されたのが始まりとのことです。
大岩神明宮
 社伝によれば、文武2年(698)岩屋山南に勧請したのが最初で、のち保延元年(1135)大岩村が本郷に移ったときに遷宮し、天正11年(1583)元屋敷に移り、さらに正保元年(1644)、大岩村の移村とともに現在地に移りました。現在では大岩の氏神となっています。境内には寛延4年(1751)の燈篭、文化4年(1807)の秋葉山常夜燈、文政6年(1823)の手水鉢があります。
製糸工場の跡
 二川地区は、明治頃から大正にかけ製糸産業のメッカでした。特に小渕しちが手がけた玉糸製糸は隆盛を極め製糸産業地帯として、豊橋地方を一躍全国のトップレベルへと導きました。この当時二川地区には大規模の糸徳生糸工場を始めとして中小の30を超える工場群があり、最盛期の大正時代には、多くの女工さんが三遠地方から働きにきました。
赤いレンガ塀
 明治時代の製糸工場の跡ですが、その当時大火があり延焼を防ぐために構築されたと思われます。その後、終戦直後には、サトウキビ工場が黒砂糖を生産していました。ちなみにこのころ、新橋町の消防器具庫あたりにもサトウキビ工場がありました。
大岩寺
 もとは岩屋山麓にあって、岩屋観音に奉仕した6坊の1つでした。元和8年(1622)遠州浜名郡宿芦寺の通山和尚により再興され曹洞宗に改宗。のち正保元年(1644)現在地に移転しました。岩屋観音堂に寄進された文化財は、当寺に所蔵されています。宝塚歌劇の白井鉄造氏作すみれの花咲く頃の歌碑が北側の寺所有地にあります。
枡形(新橋町・中町にあります。)
 宿場や城下町の出入り口で,道を真直ぐ進めないように左右に道をずらしたもの。軍事上の理由の他,大名行列の鉢合わせ防止などに用いられました。
二川宿本陣資料館と本陣・旅篭清明屋
 東海道筋に現存する貴重な二川宿馬場家本陣遺構を改修復元。新たに建設した土蔵風の資料館とともに「二川宿本陣資料館」として一般公開しています。大名などの身分の高い人が宿泊・休憩した「上段の間」を始め、主家、中庭などが再現され、江戸時代の宿場の雰囲気を味わうことができます。  
史跡 二川宿本陣
(旧東海道の本陣遺構は、滋賀県草津宿と二川宿だけです。)
二川宿の本陣は、後藤五左衛門が中町の北側で勤めていましたが、再々の火災のため没落し、寛政五年(1793)以降は紅林権左衛門に本陣職を譲りました。文化四年(1807)以後明治三年(1870)の本陣廃止まで馬場彦十郎が現在地において本陣を経営しました。
(右上・上段の間、右下・高札場復元)
旅篭清明屋
 江戸時代の庶民の宿となっていました。旅篭「清明屋」は、江戸時代の庶民の旅の様子が分かるように展示を工夫していますので、本陣と併せて見学することは当時の建築物のみならず、文化・生活を垣間見ることが出来ます。
脇本陣跡
 脇本陣は本陣の利用が重なった場合、その補助的な役割を果たしました。二川宿の脇本陣は松坂家がつとめていました。脇本陣の建物は間口七間(約十三m)、奥行十九間(約三十五m)、畳数は九十三畳でした。
松音寺
 康永〜貞和年間(1342〜50)の創建と伝えられ、明暦年間(1655〜58)に遠州白須賀の蔵法寺香外養薫和尚により再興されました。江戸時代、大通行の際の休泊所や、本陣からの避難所に指定されていました。
古い区画の遺構
   慶長6年(1601)、天下を統一した徳川家康は、東海道の集落に伝馬朱印状を下して宿駅に指定し、街道整備を進めこの地域には二川宿、大岩宿の2宿が誕生しました。しかし、近接していたため、1644年に現在の地に二川宿として統合されました。このため、東問屋場と西問屋場がありました。二川宿は東海道五十三次の33番目の宿場町として、明治4年の駅制廃止まで、その役割を果たしてきました。
駒屋
   旧商家「駒屋」は平成15年4月豊橋市の所有となり、今後歴史的な建築物として公開の予定です。現在、旧東海道に面して、文化11年(1814)建築された主屋、明治11年に建った通用門があります。南土蔵は天明元年、北土蔵、北倉のほか茶室、離れ座敷などが残され、商家としては市内最古であり、貴重な建築物であるため市の有形文化財となっています。
瀬古道の槙の木と秋葉山常夜灯
 新橋の駒屋付近から松音寺へ向かう小道を、瀬古道といいますがこの通りに防火槙と常夜灯があります。現在のものは、昭和28年12月に建立されたものですが、常夜灯の歴史は古く江戸期からありました。江戸期この辺りにも西側から延焼する大火があり、その火は瀬古道近くで鎮火したといわれています。瀬古道に住む人たちはこうしたことから、防火の願いを込めてこの辺りに火防のための槙を両脇に植樹するとともに、秋葉山の火防の守り神として祠と常夜灯を建立し祭ったとされています。また、昭和30年ごろまで共同井戸もあったようです。今でも、秋葉山の御祈りが住民により続いています。
秋葉常夜灯
 火防の神として古くからある秋葉山信仰の広がりによるもので、道標の役目をはたしていました。信仰や供養の証として、人々が各地に灯篭を寄進したためです。秋葉常夜灯は二川八幡神社内・北裏の瀬古道・中町にあります。
二川八幡神社(山車祭礼)
 永仁3年(1295)鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮から勧請したと伝えられる二川宿の氏神です。毎年10月に祭礼があり、中町のからくりは「和藤内とぼたん」、新橋町のからくりは「小野道風と蛙」、東町のからくりは「うさぎの餅つき」の3台の山車があり、賑やかな若者達の笛や太鼓とともに町の中を彩ります。
十王院(念仏堂)
   天正13年(1585)建立された十王院には、二川新町開山の碑があります。
妙泉寺
 貞和年間(1345〜50)に建てた小庵でしたが、万治3年(1660)現在地に移転しました。境内の春乙桜がみごとです。寺境内に、寛政10年(1798)に建立され、明治12年(1879)に隣の十王院から移設された芭蕉句碑「紫陽花塚」があり、「あちさゐや藪を小庭の別座敷」(芭蕉の句)と歌われています。また、毎年夏には暑気払と健康を願う、ほうろく灸が催されます。
白山神社
 大脇町の氏神です。秋の祭礼には山車、春には手筒花火があります。
普門寺と船形山城跡
 普門寺(ふもんじ)は寺伝によると,727年(神亀4)行基が山頂に寺院を建立したことに始まるとされています。 釈迦如来・阿弥陀如来坐像は1922年(大正11)に国宝(現在は国重要文化財)に指定されました。市指定天然記念物の大杉なども見られ秋の紅葉には多くの人が訪れます。また、近くの里山にはホタルがみられます。船形山城跡は戦国時代の明応(1492-1501)の初め頃、築かれ、三河と遠江の戦略上の重要な拠点でした。今では、豊橋自然歩道のルートとなっているものの、戦国期の面影はありません。
一里塚跡
 一里山にある一里塚(豊橋市指定史跡)は、以前は道路を挟んで左右に1基ずつありましたが、南側のものは破壊されて屋敷の一部となり、僅かに残った痕跡も大正末頃には全く消失したといいます。現在、残るこの塚は東西11メートル、南北14メートル、高さ3メートルで、旧東海道の面影を残す極めて稀な遺構の一つです。
春、二川の桜
       
協力 ★二川・大岩まちづくり協議会★
★二川 散策マップ★ ★二川宿まちづくり会★

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