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 二川はなぜ「二川」と言うのだろう、ということが、時折話題になることがあります。地名はその土地の歴史を知る鍵とも言われますから、郷土を振り返ろうとするとき、そもそもなんで「二川」っていう名称なんだろう?という疑問にぶつかることになります。この地名には川が2つからんでいるらしい、とは見当がつきますが、実は、定説がないようです。

 旧東海道はこの地で新橋川と宮川という2筋の川を越えて行くんで「二川」って呼ぶのさ、と言う人があるかもしれません。しかし、今の旧道沿いに町並みが設けられたのは、正保元年(1644)の二川と大岩の合宿による移転以降のことで、それまでは各元屋敷の地で、離れていながらも両村で1宿分の業務を果たしていました。(今日につながる町並みのある土地は、もともと「からさわ」(唐沢)と呼ばれており、草ぼうぼうの荒れ地でした。「からさわ」と呼ばれたのは、いったん雨が降れば、里山から雨水が流れ出て水に浸ってしまう土地だったからでしょう。)二川の元屋敷は、源吾坂の辺りにあったと言われています。

 では、「二川」という名はいつ付けられたんだ?ということになるのですが、これもはっきりとしていません。二川東町の十王院には、「三州二川村新町之開山 一翁善得 天正十三年霜月吉日」と刻まれている石碑があります。この碑は、二川のパイオニアとされる「一翁善得」=源吾さんの命日を示していると言われています。また、本郷から元屋敷への移転を記念したものとも言われています。となれば、天正13年(1585)には「二川」という名称があったということになります。ただし、この碑が建立されたのは、二川と大岩が合宿して移転後のことです。

  ここらで、郷土史の先人に意見を伺ってみましょう。紅林太郎さんは、『東海道二川宿の研究』で2つの説を紹介しています。

 その1 <<梅田川と落合川の二川に因むもので、この二川の合流点が拠所となった。この理由としては、この落合川の流域一帯は、二川地区の有力な水耕地で、二川の住民が三ツ谷(本郷)から元屋敷(今の源吾坂)へ移り、更に現在の地に転じた後も穀倉地帯として関係があったところで、この所縁の深い地と、梅田川とを拠所としてこの地が発生した>>

  その2 <<明治二十年十二月付内務省に提出した渥美郡二川村「地誌編纂」の沿革に、本村ハ往古源吾坂(現今字元屋敷ニアリ)下ニアル小村ニシテ東、遠三ノ界ナル境川ヲ渉リ来ル者再ヒ本村ノ西界ニテ同川ノ下流ヲ渉ルニヨリ只一条ノ川ヲ再度渉ル其間ニ孤立スル里ナルヲ以テ二川ノ称アリト云フ現今ハ其川流ヲ称シテ梅田川ト云フ。

この起源説によれば、やはり新街道(旧東海道)ができた頃からこの名称が付けられたように思われる。>>

 協力  ふたがわ発掘クラブ通信★第74号 2009/5

 

東海道二川宿
 古来より交通の要衝であった二川は、慶長6年(1601)、江戸幕府による街道整備にともなって宿駅として設置されました。開設当時は二川村と大岩村の二ヶ所で一宿分の業務をおこなっていましたが、正保元年(1644)に両村は現在地に移転して、二川宿と加宿大岩町となり、東海道五十三次中三十三番目の宿駅として業務をおこなうこととなりました。二川宿は東の白須賀宿から1里17町(約5.8km)、西の吉田宿(現在の豊橋)から1里20町(約6.1km)の距離に位置し、町並みの長さは東西に12町26間(約1.3km)と宿場としては小規模でした。
 天保14年(1843)には、本陣・脇本陣がそれぞれ一軒、旅籠屋が三十八軒、人口は1,468人で、家数は328軒でした。
 現在も、本陣をはじめとして、江戸時代の宿場町としての景観を残しています。
 拡大します  安藤広重  東海道五十三次之内二川宿
 広重の描いた東海道五十三次二川宿は天保年間(1830〜1843)の作だと伝えられています。副題にある「猿ケ馬場」は、実際は遠江国の白須賀宿を西に出たすぐのところ、境川の少し手前にあったと考えられています。(現在の境宿のあたりか?従って、厳密には二川宿までにはまだまだ郷里があり国境に当たる地です。二川の宿という題は当てはまらないわけです。)

 絵の中にもあるように、この地は柏餅が名物で「名物柏餅」の看板を掲げた店が何軒かあったそうですが、今に続く店はありません。盲目で三味線を弾き、物語を語ったり、俗謡を唄い全国を巡り、お金やお米などを報酬に得ていた、3人の瞽女(ごぜ)が描かれ何ともうら悲しい絵です。

 上の<保永堂版>(東海道広重美術館蔵)二川宿 猿が馬場の絵は有名ですが、もう一枚の猿が馬場の図をご存じでしょうか。(右の図)
 同じ猿が馬場の図でも、こちらは描かれている人物も多く活気を感じさせる構図となっています。豊橋市二川本陣資料館に展示してあります。
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『灯籠で飾ろう二川宿』 平成27年7月25日 
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灯籠で飾ろう二川宿。旧道沿いに1000個の灯籠がならび、そこはかと淡い灯りにともされた旧街道は昔の風情をかもしだしていました。7月25日は、たくさんの人出で賑わいました。二川宿のお盆の風物詩になりそうです。二川中学校、二川小学校、二川南小学校の生徒の作品も飾られました。外灯の水銀灯が明るすぎたのが少し残念でした。(写真は少し明度を上げています。)   

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